飴のことば遊び

語学や旅のこと、やったことや思ったことを書いています。

女ひとり旅のすすめ

まず始めに、私は冒険しようぜ!派のおひとりトラベラー(ひとり旅が好きな人のこと。適当に名付けた。)ではない。

 

でも「旅行行った」とか「旅行行く」とか友だちに言うと、「また一人で?」と聞かれるくらいにはおひとりトラベラーである。

 

なぜこんなにひとり旅が好きになったのだろうか。

 

 

初めてのひとり海外旅行

私の初ひとり海外は、ベトナムだった。

選んだ理由は、「安全そうだから」

これは、半分正解で半分誤りだった。

 

ひとりで海外に行こうと決めたのは、就職してから友だちと休みを合わせることが大変だったので、じゃあひとりで行っちゃおうかな、という軽い理由だった。

 

海外旅行自体は何度も行ったことがあったので怖くはなかったが、治安の悪いところに行って「危ないから行くのやめよう」と、何かをためらってしまったら心から楽しめないと思い、ネットで調べて比較的治安の良さそうなベトナムにした。

 

ホーチミンに入ってハノイに行ってホイアンに行ってまたホーチミンに戻って、という7泊の旅だったと思う。ベトナム国内で3回飛行機に乗った。

 

実際行ってみたベトナムでは、デジタル一眼レフスマホは隠して歩くんだよ、とホテルやカフェの人たちに心配されたり、両替所やオーダーメイドの服屋さんでお金をボラれそうになったり、なんだか緊張したり怒ったりで疲れてしまった。国内線がLCCだったので遅延しまくって、5時間くらい空港で暇を持て余したのは気にならなかった。

確かに命に関わる犯罪は少なく、「気をつけていれば安全」な国だったと思う。

大量のバイクと車の間をすり抜けて道路を渡る術を覚えた。

ただ、出会った人は優しかった。カフェのお姉さんはベトナムで気をつけなくてはいけないことを教えてくれたし、メコンツアーで会ったロシア語ガイドのお姉さんは、私あなたのお客さんじゃないよ?と思ってしまうくらい話しかけて気にかけてくれた。ホイアンのカフェで話かけた女の子は可愛くて感じが良かった。

 

二回目

 

疲れたという感想が大きかったが、ベトナムでひとり旅の醍醐味である「自分の行きたいところに行って食べたいものを食べる」を満喫した私は、次の目的地をヨーロッパに定めた。

 

行く先は迷いに迷って、フランスとベルギーにした。

理由は、「言葉がわかるから」。大学でフランスのことを学んでいたため、ペラペラとは程遠いがフランス語は多少わかるし困ることも少ないだろうと思った。ちなみにパリは3回目だった。

夏のセールのシーズンだったので、パリでしこたま買い物をした。3回目にしてパリのことが大好きになった。ロワールの古城を見に行ったりもした。

北駅近くのホテルで治安は良くはなかっただろうが、ホテルのおじさんとフランス語で話したらすごく喜んでくれたのを覚えている。途中英語を使ったら“En Francais?”(フランス語で?)と促された。もちろん、このおじさんは英語は達者だ。

タリスという新幹線のような電車で、ブリュッセルに移動した。ずっとユーロスターに乗ってみたかったのが、何故か先にタリスに乗っていた。乗る時、5号車が何処か分らなくて、沢山の人がわーわーと群がっている車掌さんにチケットを見せながら、これどこですかーって英語で尋ねたら大きな声で”Cinq!”と叫ばれた。フランス語で5のことである。それがどこか聞いてんだよと思いながら、なんとか車両を見つけた。

 

ブリュッセルは素敵な街だった。古い町並みと、現代のセンスが混ざっていた。

EU本部を擁しフランス語とドイツ語、さらに英語まで通じる都市だが、旅で疲れた私の脳はしばしばバグをおこし、言葉を間違えて店員さんにイライラされることもあった。

ブリュッセルから電車に乗ってブリュージュとゲントに行った。北側はドイツ語圏で、色んな表示がドイツ語しかないこともあった。思い出したがブリュージュはフランス語名でゲントは英語読みだったかと思う。ドイツ語ではブルッヘとヘント。ドイツ語は全く知らないので、発音も正しくはわからない。ゲントで路面電車に乗って市街地に行こうとしたところ、券売機のところの説明書がドイツ語しかなかった。そんなバカなと思いながら近くの人に助けを求めたが、その人にもよく分からないと言われた気がする。どうやって切符を買ったのだろう。とにかく路面電車に乗れたことは確かだ。

 

三回目

その次は上海だった。完全にひとり旅の味をしめていた。

本当は台湾に行って見たかったが、特典航空券が取れなかったので上海にした。後から考えるとこれはラッキーだった。上海が気に入ったのだ。 

 

ご飯が口にあったし、中国式の庭園を見るのも楽しかった。

英語が喋れない人が多く、中国語を解さない私に対し緊張しているのが見えた。まるで日本人のようだと思った。もっと言えば東京のようだった。人びとは特にフレンドリーでもないが冷たくもなかった。外国人の私にびっくりしていることが多かった。

ずっとスモッグのかかった上海の摩天楼は、いかにも中国共産党な街中のスローガンのポスターも相まってディストピア感が強く、その雰囲気に引き込まれてしまった。

 

なんだかパラレルワールドの東京にいるみたいな気持ちになった。

中国語圏は話していることはわからないが、大抵漢字から意味を推測できるので便利だった。

四回目

 

これは7割ひとり旅だった。

友だちと夏休みをほんの少し合わせられたので、NYで落ち合うことにした。NYは以前に行ったことがあったので、一人でサンフランシスコに先に立ち寄った。この頃じつは心身の調子がすこぶる悪く、SFの記憶はおぼろげだ。

 

ただ、スーツケースの鍵を無くしたと勘違いしてホステルでメキシコ人親娘にスーツケースをこじ開けてもらったり、同室だった10歳年下のマカオの女の子と朝食を食べながら話をしたりしたことは覚えている。マカオの子はツムツムをやっていた。日本版とインターナショナル版では何かが異なるらしかった。それから現地の学校に通う日本人のお姉さんと同室になり、一緒にUCバークレーに行ったりした。賢い学校を見に行って楽しい、というとすごく自分がバカに思える。あのSFのホステルは色んな人に出会った。でもその一帯は夜は少し怖くて、早歩きをしていた。

 

NYへ移動して最初の一泊はひとりだったので、夜、出かけてみた。ひとりで歩くNYは変わらず刺激的だった。図書館のすぐそばのブライアントパークで野外コンサートをしていたので座って聴いてみた。周りはNYの高層ビル、耳をすますとオーケストラの演奏と、街の喧騒が聴こえてきた。

前述のとおり調子が悪かったため、昼間はホテルで休むことを余儀なくされていたが、そのコンサートの非現実さが本当に楽しかった。体にエネルギーが流れるのを感じた。死にかけていた私を生き返らせてくれた。だから今でもNYは特別な場所だ。

 

その後

念願だった台湾に行った。

ずーーっと海外旅行派だったが、フラフラとひとりで行った八重山諸島で沖縄が大好きになって何度か行った。

いろいろあってカナダに行って、そこでもひとりで旅行した。カナダ国内とアメリカのいくつかの都市を回った。

友だちと旅行することも勿論あったし、一緒に食事をしたり感想を語り会うことは素晴らしいのだが、ふと、ひとり旅の気楽さを恋しく思うことは少なくない。

 

計画しても予習しても、必ず予想しなかったことは起こるから旅は面白い。

当然ではあるが、私は面倒くさいことも危険なことも、全くもって好きではない。できれば回避して生きたい。

「ひとり旅が好き」というと、ひとり旅未経験者たちからは「勇気があるね」「寂しくない?」などの答えが返ってくる。

はっきり言って特別な勇気なんかないし、話す相手がいなくて寂しい時はずっとSNS漬けだ。私は自分が大丈夫だと思える、安パイなところにしか行かない。それでもいつでもどこかに行きたいくらいには、ひとり旅は楽しい。安直な表現になるが、刺激的なのだ。

それに、一人でいる方が、不思議と知らない人と話す機会が生まれる。振り返ると大体それが旅の思い出の重要な部分になっていたりする。

安全を感じられる範囲は人によってそれぞれで、家から電車で二時間の人もいれば、南米や中東に行けるひともいる。

どんなに計画して行ったって、予想外なことはきっとある。と考えているので、私はあまり細かくは計画を立てるタイプではない。だから逆に、もし旅してみたいけど不安だからと躊躇っている人がいれば、めちゃくちゃ計画してから旅に出てみることを勧める。どんなに知ったつもりになっていても、知らなかった何かが起こるはずだから。それがひとり旅の魅力だから。 

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